高齢者(それも後期)のブログ

できましたら同じ世代の方のお目に留まって欲しいと思い発信しています。

ローソンで不愉快に

先日ローソンで実に不愉快なことがあった。

いや実はもう数年前のことだが、その不愉快さが何回も何回も思い出しては悔しく、腹立たしくなる。

それはこうである。

その日ローソンで買い物をしたのだが、

レジで並んで自分の番が来たと思ったら、レジの女の子が「こちらの方が先です。」と言ったのである。

え?私がズルして横入りしたとでもいうのか?  

で、その男性の方を見ると「いえいえ、どうぞ」とおっしゃる。

しかしとっさに「いやどうぞお先に」と言って私は列を離脱してしまった。

こんな女の子とモメても仕方ないし、

列に並んでいる人たちからすればこんなことで時間を取るのも迷惑な話だろうと思ったのだ。

しかし実に不愉快で商品は置いて店を出た。

これは、、、思い返してみると、こういうことだ。

私が列に並ぼうとすると、同じタイミングで並ぼうとしていた人がいて、

そのままだとぶつかってしまうので立ち止まった。

そしたらその人がどうぞとジェスチャーしたのでそのまま並んだ。

それを見ていたらしい女の子が、私が無理やり割り込んだように見えたのだろう。

こういうことは良くあることで、あうんの呼吸で大人同士譲り合いながら世の中は動いている。

それをこの若い女の子は理解できなかったのか?

なんにしても明確な説明も抗議もせず出てしまったおかげで、

いまだに不愉快な記憶として何回も思い出しては悔しがっているのである。

それ以降ローソンには入ってない。

 

危ない上に不愉快な自転車

昨日実家の周辺を歩いていると、いきなり後ろから「ウオーリャ!!」と大声が。

驚いて振り向くと自転車のおじさんだ。

そのまま通り過ぎたかと思うとまた「ウオーリャ!!」。

どうやら邪魔になりそうな人がいたらこう発するらしい。

まあベルのかわりか。

「なんじゃぁあれ」と言った人と目が合ったので思わず笑ってしまった。

えー近頃はこんな乱暴なこと言うのかと思ったら、

子供時分の光景が思い出された。

そのおじさんは「てぃー、てい!」と言っていた。

これまさしくベルの代わりだなと分かる。

まあこれなら「危ないよー危ないよー」と言っているように聞こえるが、

「ウオーリャ!!」は「どけよ」と言われているようでちょっと不愉快。

そう言えば、時々自分の横を後ろからすれすれに通り抜ける自転車に出くわすが、

あれは危ないし不愉快だ。

一度は後ろを通り抜けながら「ぼーっとすんな!」と言ったおばさんもいたなあ。

道交法が自転車に厳しくなってからの現象のような気がするが、

気のせいかな?

 

 

夕方になるとお酒が楽しみでそわそわ

私はお酒が好きです。

会社時代も、ほかの皆さんと同じく、退社時間が近づくと「もうすぐお酒が飲める。」となんとなくそわそわ気味になったものです。

リタイア後もそれは同じで、夕方が近づくとお酒を思ってなんとなくうれしい気分になります。

しかしこれ、、、これだけ聞くとまるでアル中ですよね。

実際はほんの2合弱ぐらいしか飲んでいないのですから、アル中ではありません。

実はそんなに威張って言う資格はなく、数年前たまたま血液検査をやったことがあり、

その時は例のγGTBの値が大幅に基準値を超えていて驚いたことがあったんです。

でその時、ぴたっと自主的禁酒を敢行しました。

なんとそれは半年も続いたのです。

そしてまた血液検査する機会があって、見事基準値内に戻りました。

それから考えた結果「今までは酔うために飲んでいたがこれからは上等の酒を味わうために飲むんだ。」

ってことになりました。

それからというもの少し高めの酒を少量味わって飲むということを徹底することにし、

必ず休肝日を設けることを条件に現在に至っています。

そして先日も書いた通り、つい先日の血液検査でも基準値クリアしています。

しかしやはり飲むというのは楽しみらしく、前述したとおり夕方が近づくとうれしくなり、

ああ今日は休肝日だったかと思うとがっくり来ます。

しかしこれ、お酒を飲みながら思う時があります。

こんなもの飲むのがなぜそんなに楽しみになるんだろうか。

酔っぱらってしまうほどには飲んでいなくて、

本当にたしなむ程度になっているにもかかわらずです。

美味しいものを飲むからだといっても、

美味しい料理が楽しみでそわそわするなんてことは経験したことない。

お酒特有のことなんですね、不思議です。

ひょっとしたら、少量でも気分を高揚させ機嫌をよくする効果がそうさせるのかもしれません。

実際飲んだ時は何も考えず寝つきも良いのだから。。。

 

 

 

 

それがこの世ということか

人は生まれた瞬間死刑判決を受けるのだと言った人がいるそうです。

確かに言い得て妙で、その執行時期は神様に委ねられています。

その判断はどのようにされるのか誰にも分かりませんが、

だからこそ人はたくましく生きて行けるのではないでしょうか。

また、自分が死刑判決を受けているんだということを全く知ろうとしないで、

無頓着に好きに生きる人には早めに執行される傾向にあるようです。

これを生活習慣と言うそうです。

私は結構高齢になりましたが、そういえば健康には気を使ってきたように思います。

ついこの間も血液検査して頂きましたが、全ての基準をクリアしていて、

先生からは何の薬も飲んでいないしこれはすごいことですと言われました。

一か月の血圧記録もクリアし、いまだに薬は飲んでいません。

母親は100歳、父親も88歳まで生きましたし、私はきっと平均年齢はクリアできるのではないか、

またそうありたいと思っています。

しかし神様の判断がどこにあるのか分からないので、

いつ何時どんなことで執行されるか分からないのですね。

軽い風邪と思っていてもこじらせてポックリというのもあるし、

末期がんと言われても10年20年生きる人もいるし、ともかく分からない。

繰り返しになりますが、だからこそ人はたくましく生きることができます。

うまくできているのかいないのか、それがこの世ということか。

 

 

 

 

 

 

コロナ感染メカニズム?

コロナパンデミックがなかなか収まらない。

大阪は緊急事態を解除したっていうのにむしろ増えだした気すらします。

その上変異株が目立ち始めたとか言われ出しているのを見ると、これ今年中は無理じゃないか、、、って

暗澹たる思いになってしまいます。

何故こうもおさまらないのか?

三密っていうけど、たまたま集まった10人の中に無症状感染者がいる確率って限りなくゼロに近いと思うのに、

何故感染してしまうのだろう。

ずっと疑問に思い、考えてきたが自分の中ではきっとこういうことじゃないかって思います。

つまり、感染者が近くにいる確率は限りなくゼロに近いが、

ある程度のウィルスを持っている人が近くにいる確率は結構高い数字なのではないかってこと。

もう私たちはいろんな場所で少しづつウィルスをもらっているのではないかと思うのです。

しかしそれぞれ個人の免疫力や抵抗力で発症しない人も発症してしまう人もいる。

あちこちで少しづつウィルスをもらって来ているうちに、

その人固有の許容を超えた時点で発症するのではないでしょうか。

こう考えると腑に落ちる。

そのうち体内に抗体ができて新しいウィルスが住み着かなくなってしまった人が増えてきて、

ワクチン注射をした人と合わさってほぼ全員に抗体ができた時終息する。

こんなことではないでしょうか。

 

三寒四温

ああいい季節だなあああぁ~。

日差しは暖かく、しかしピリッと肌寒い風。

今頃山のうぐいすは下手な鳴き方してんだろな。

まさに三寒四温のこの季節大好きです。

でもあっという間に終わっちゃうんです。

そして春爛漫が続いたかと思えば桜もすぐに終わってしまい、

すぐに猛暑の夏がやって来る。

どうしてこう不快なものは長く続き、

快適なものはすぐに終わってしまうのか。

世の中うまくできているのかいないのか。

 

三日坊主?

三回書いてちょっと休憩してしまいました。

文字通り三日坊主か(笑)

始めなので自己紹介的なことを書くべきかなと思っていたら、

すぐ行き詰ってしまって、常々思ってたようなアイデアがでなくなりました。

以前自分のホームページをアップしていたころは、

掲示板に毎日のように自由に書き込んでいてそれはまさにブログでした。

パソコンを前にしていきなり書き込んでも次々にアイデアが湧いてきていました。

そして来訪者のカウントが常に5人と固定されていて、

それも大変励みになってましたね。

やはり何を書くべきとか決めずに自由にするのが続けていける秘訣なのかも。

まあ特に継続とかも意識せず気楽に臨もうと思います。